ららら安楽の子

小説や映画などの感想ブログです。

みんなありがとう。――『素晴らしき哉、人生!』


It's A Wonderful Life - Trailer

 

こんにちは。

突然ですが「失ってみて初めてわかるもの」、みたいに言われる系のものって色々あると思うんですけれど、その最たるものは、人なんですよね。きっと。特に恋人とか親友とか親とか仲間とかは言わずもがなそうで、でも、そこに自分も含まれているってことは忘れがちになってしまう。

僕は人と比べるとだいぶ孤独なほうだし、そのわりに孤独に対して慣れているほうでもないんだけど、それでも自分という存在だけは厳然として在る。在る限り在るってことを忘れないでいればそれでやっていける。そしてそういう思いがあながち綺麗事でもなければただの美談でもないってことは、信じてみてもいいんじゃないかなあ。

 

そういうわけで『素晴らしき哉、人生!』を観ました。そして言いたいことの大半は以上という感じになりますね。

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そいつらは否定できないけれど――『甲鉄城のカバネリ』

こんにちは。

テレビアニメをね、久々に一気見しました。WIT STUDIOといえば僕は『ローリング☆ガールズ』が本当に大好きなんだけど、まあ『進撃の巨人』とか『屍者の帝国』の制作会社、と紹介するほうが簡潔なんでしょうね。というか『ローリング☆ガールズ』の制作絶対『屍者の帝国』と被ったせいでむやみに人員割かれたでしょ、と大した根拠もなく勝手に勘繰って未だにちょっと憤慨しているのですがこれは私怨です。伊藤計円城塔も好きだから別に良いです。『ローリング☆ガールズ』をよろしくお願いします。

とはいえ今回僕がよろしくしたのは『甲鉄城のカバネリ』なので、その話をしましょう。なんせおもしろかったのでね。


「甲鉄城のカバネリ」PV第三弾_2016.03.17解禁

「カバネ」っていうゾンビが蔓延する世界で、生駒っていう主人公の眼鏡男子が奮闘するアニメでした。なんせこの生駒が良い。

生駒はカバネに噛まれて自分もゾンビになりかけるんだけど、めっちゃすごい気合いで自分の「カバネ化」を無理やり食い止めます。その結果、人間とカバネの間の微妙な立ち位置の存在になってしまう。で、人間からカバネ扱いされて見放されてしまうところがあるんですね。全然まだ人の心があるのに。

カバネに怯える人間が、どれほど人として愚かな姿をしているのか、というのを生駒が痛感する瞬間でしょうか。

そしてそのあとで生駒は、カバネの大群によってピンチに陥った人間を、助けます。ここが良い。

俺を見ろ…お前らが蔑んだ男が血を流して死ぬところをよく見ていろ……!

俺がお前らを助けてやる……見捨てた奴に助けられた記憶をずっと抱えて生きていけ……!それを俺はあの世から笑ってやる………「ざまあみろ」ってなあああ(第二話)

つって助けるの。もうなんか、正義感がまるでなくって。カバネに怯える人間共の在り様を否定するためだけに助けるっていうこの感じがとても人間。怒り。生駒を好きになる人はたぶんここで好きになるんだと思います。

僕はなんていうかこの「否定」するっていう行動が作品全体に蔓延してるような気がしました。人間の内側に生まれた恐怖を否定すること。

美馬さんっていう、雰囲気でわかるタイプのラスボスが途中からでてくるんだけど、これは賛否両論のようですね。美馬さんもまた恐怖に憑りつかれた人で、「公平な世界」を目指す革命家のような立ち位置です。「公平な世界」というのは、カバネの脅威に、誰かに守ってもらうのでなくみんなが公平に晒され、弱い者は死に、強い者が生き残っていく世界のことです。で、自分はその頂点に君臨する。自分より上がいない以上、自分に恐怖は存在していないという理屈でしょうか。正直よくわかんないですが。

結局この美馬さんを打倒するのが物語の着地点になってしまったので、「カバネ」の根源とか真相に迫るようなことはなく、カバネがなんなのかはわからない。

ただ僕はなんとなくそれで良かったと思ってて、それはまあ「カバネ」っていう存在自体が恐怖の象徴みたいなものなので、その源を露呈してしまうっていうのはある意味カバネから寓話性を奪ってしまいかねないし、たぶんあえて明らかにしてないんじゃないかなあという作り手への予想があるくらいのものですが。それか二期でやるためとか。とにかく、人間がどうあがこうがカバネは既に発生していて蔓延しているし、もはや根絶やしにはできないものなんですよ。それはつまり恐怖そのものです。人間に恐怖を与える存在は、恐怖が存在しているって事実だけは、なにをしたって否定できない。

でも、「恐怖」に相対したときに「人間の内側で生まれる恐怖」は、否定することができる。そしてそれを否定できれば、あとは恐怖そのものに自ら近づき、打ち倒すことだってできる。このテーマは一貫しているんじゃないでしょうか。

 

あと気になったのは、カバネの倒し方ですね。「貫く」って感じの倒し方が多いんですよ。貫くっていうのは、たぶん躊躇とかそういうものがあると絶対できないやり方なんだよね。カバネの堅い心臓は、そういう余計な引っかかりがなにもない純粋な闘気でしか貫けない。これはちょっとかっこいいですね。

 

甲鉄城のカバネリ』、今後スクリーンで総集編をやるらしいので、見ていない人はそこから見てもいいかもしれません(もしかしたら二期とかの展開への布石なのかもしれない)。今はアマゾンプライムビデオでも配信してるので、無料体験で見るのもありです。僕はそれでした。

なんかこの感想ブログ、はたして見ていない人向けへの紹介を書いているのか、見た人向けへ解釈を書いているのかよくわからないですね。我ながらかなりぶれてる印象があります。ちょっと一考するべきなのだろうか。もし総集編見たら、また改めて書くかもしれません。

ともあれカバネリは作画がテレビシリーズではまず見ないような品質に仕上がっているので、そんな考え込まないで見ても楽しいと思うな。まじで作画が良い。すごいぞWIT STUDIO。そんな感じでロリガの続編をお願いします。

 

ばいばい。

 

……そういえば生駒が最後ラスボスと戦うときに眼鏡外して髪を切るんだけど、あれはやめてほしかったな。オタクvsヤンキーみたいな構図が良かったのに、イケメンとイケメンの勝負になっちゃうんだもんなあ。

 

 

 

 

最低の過去でも、最高の音が鳴れば良い。――滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』

 

思い出される過去を、今という時間でなく、過去の時間のままに思い出すことはどうしてできないものか。(本文62p)

 過去は過去にしか存在していない。思い出す過去は過去然としているだけで実態はどうしようもなく今という時間に張り付いている。だからそれは過去そのものでは決してない。

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創造はなぜだか儚く、想像はなぜだか切ない――『コングレス未来学会議』

こんにちは。

先日の話ですが、祖母から母伝てにもらった鑑賞券でダリ展に行ってきて、文化的な気持ちになったのでそのままミニシアターで映画を見てきました。

アリ・フォルマン監督作品『コングレス未来学会議』です。

 


【映画 予告編】コングレス未来学会議

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スペクタクルは止まらない――『サマータイムマシン・ブルース』

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61DFN9SBPCL.jpg

 

夏なので、夏の映画を涼しい部屋で観てました。

サマータイムマシン・ブルース』はヨーロッパ企画の舞台の映画化作品らしいですね。見終えてからのクレジットで知ったのですが、監督は本広克行

 

大学のSF研で瑛太とかムロツヨシとかの5人組(と、隣の写真部に在籍してる上野樹里真木よう子)が部室のクーラーのリモコンを壊すんですが、ちょうどたまたまタイムマシンが未来からやってきたので、それを使って昨日に戻り、壊れる前のリモコンを持ってきて解決を試みる、というところがストーリーの立ち上がり。しかし下手に過去を変えるとなんやかんやの矛盾があってやばげなことになってしまう。SF研というのは名ばかりのお遊びサークルだった彼らはそんなことをつゆほども知らなかったので、頑張ってなんとかすべての辻褄が元通りに合うようにする、で、それがかえって混乱を招いたりするんだけど、最終的にはそんなはちゃめちゃも含めたすべてが元々の時間軸の出来事で、昨日のリモコンは運命的に一度99年前に遡ってから今日に返ってくるという話。

基本的にあほな大学生が仲間内でふざけたおしているので退屈はしないんだけど、構造としてはタイムマシンものの王道なんですよ。っていうかタイムマシン系のストーリーはなかばこうならざるを得ないっていうパターンがもう出尽くしている感あるので、ストーリーに新鮮さを求めるのは難しい気がしますね(それはそれとして面白いというのが、王道の王道たる所以なんですが)。ではではこの映画の本当に素敵なところはなんなのかっていうと、ラストシーンにある言及だと思ってます。

つまりこう、「過去に行ってなにかをする」っていう意志が自分にはちゃんとあるのに、結局「その意志を含めた今この世界の結果」が既にある(だから過去は原理的に変えられない)っていう状況は、すべてが運命的にあらかじめ決定してたみたいで、よく考えたらちょっとしらける構図なんですよね。最後そこに言及してるんですよ。じゃあその決められたように見える世界からどうやって抜け出すかっていうとその鍵はやっぱり未来にあるわけです。

で、今思い出した。一瞬だけ話を変えて、タイムをトラベルする作品で僕が好きなのは、つばな『見かけの二重星』なんですけど、そこにこうありました。

「実は面白い事がわかった! 過去はカチカチで鋼鉄のようだったのに対して、未来はまだ不確定でプニプニしていたのだ!」

まあタイムトラベル観は作品ごとに違うのであんまり引き合いに出すのも変なんですが、ともあれおおむね、未来に対しては、結構ズルが利くんですよ。不確定だから。

サマータイムマシン・ブルース』では上の言及に対して、SF研の顧問は「決められた枠に滑り込む、みたいな方法で未来は変えられる」的なアンサーを出しました。タイムマシンは未来の誰かがつくったから今そこに存在してるけど、その誰かが誰か、というのは未来のことだから未確定。だから、誰がつくっても良い。みたいなことです。

変でしょうか?

残念ながら高校時代のおれの部室にはタイムマシンは現れなかったし、未来に対してできるズルは思いつかない、というか土台無理なんだけど、でもまあ昔アメリカの黒人が地方で歌っていた音楽がなんの因果でか世界中で歌われるようになるみたいなスペクタクルは実際に起こるわけですよ。それって、結構すごくないですか。そしてそんなようなことでおれが、誰かが、世界が豊かになるなら、それを行う人間は誰であってもいい。おまえでもいいし、おれでもいい。そこには結局意志だけが残るのだから。

 

みたいな落としどころを見つけたところで、なんとなくブルーハーツのTRAIN-TRAINが聞きたくなったので、おしまいにします。

ばいばい。

方針

こんにちは。

当方映画や本をレビューしていくつもりのブログです。

なんだか個人的にはかなり半端な時期に開設してしまったんですけど、ブログなんていうのは日頃から生まれては消えていくもののようですから別にいいんでしょうね。誰がいつ見るとも知れないわけだし。おれも既に二つか三つのブログをないことにしてますし。

始めた動機としては、まあちょっと生活が腐ってきていて、このままじゃなにものにもなれねえなあという気持ちが湧いてきたから、ってところですかね。マイナスをゼロにするというよりは、つかのま満ち足りるために、始めてみようかと。将来どれだけ泥水をすするような人生を送ることになっても、とりあえず一日を「今日はおれ、やれたな!」って鼻歌気分で床につける日が毎日続いたとしたら、たぶん自分は幸福に類するもののように思えるし、そのままの気分で眠れようものならおれの脳は意気揚々とその日あった嫌なことを抜け殻だけにしれくれる。その「やれたな」の感覚を少しでも手に入れるためにやっていきます。

結局、なにもしないよりはマシなんですよ。なにもしないよりマシなことしかこの世にはないってことを頭が悪いからどうしても定期的に忘れるんですよ。それがもう嫌なんすよ。

あたりまえのことや、ありふれたことを、どんどん思い出していきましょうね。

 

さておき。見られる以上はつまらなくならないことを肝に銘じつつ、書いていきます。

よろしくお願いします。

嫌いな腕時計は買って一か月たらずでぶち壊れるばちぼこ安いくそ腕時計です。