ららら安楽の子

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スペクタクルは止まらない――『サマータイムマシン・ブルース』

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夏なので、夏の映画を涼しい部屋で観てました。

サマータイムマシン・ブルース』はヨーロッパ企画の舞台の映画化作品らしいですね。見終えてからのクレジットで知ったのですが、監督は本広克行

 

大学のSF研で瑛太とかムロツヨシとかの5人組(と、隣の写真部に在籍してる上野樹里真木よう子)が部室のクーラーのリモコンを壊すんですが、ちょうどたまたまタイムマシンが未来からやってきたので、それを使って昨日に戻り、壊れる前のリモコンを持ってきて解決を試みる、というところがストーリーの立ち上がり。しかし下手に過去を変えるとなんやかんやの矛盾があってやばげなことになってしまう。SF研というのは名ばかりのお遊びサークルだった彼らはそんなことをつゆほども知らなかったので、頑張ってなんとかすべての辻褄が元通りに合うようにする、で、それがかえって混乱を招いたりするんだけど、最終的にはそんなはちゃめちゃも含めたすべてが元々の時間軸の出来事で、昨日のリモコンは運命的に一度99年前に遡ってから今日に返ってくるという話。

基本的にあほな大学生が仲間内でふざけたおしているので退屈はしないんだけど、構造としてはタイムマシンものの王道なんですよ。っていうかタイムマシン系のストーリーはなかばこうならざるを得ないっていうパターンがもう出尽くしている感あるので、ストーリーに新鮮さを求めるのは難しい気がしますね(それはそれとして面白いというのが、王道の王道たる所以なんですが)。ではではこの映画の本当に素敵なところはなんなのかっていうと、ラストシーンにある言及だと思ってます。

つまりこう、「過去に行ってなにかをする」っていう意志が自分にはちゃんとあるのに、結局「その意志を含めた今この世界の結果」が既にある(だから過去は原理的に変えられない)っていう状況は、すべてが運命的にあらかじめ決定してたみたいで、よく考えたらちょっとしらける構図なんですよね。最後そこに言及してるんですよ。じゃあその決められたように見える世界からどうやって抜け出すかっていうとその鍵はやっぱり未来にあるわけです。

で、今思い出した。一瞬だけ話を変えて、タイムをトラベルする作品で僕が好きなのは、つばな『見かけの二重星』なんですけど、そこにこうありました。

「実は面白い事がわかった! 過去はカチカチで鋼鉄のようだったのに対して、未来はまだ不確定でプニプニしていたのだ!」

まあタイムトラベル観は作品ごとに違うのであんまり引き合いに出すのも変なんですが、ともあれおおむね、未来に対しては、結構ズルが利くんですよ。不確定だから。

サマータイムマシン・ブルース』では上の言及に対して、SF研の顧問は「決められた枠に滑り込む、みたいな方法で未来は変えられる」的なアンサーを出しました。タイムマシンは未来の誰かがつくったから今そこに存在してるけど、その誰かが誰か、というのは未来のことだから未確定。だから、誰がつくっても良い。みたいなことです。

変でしょうか?

残念ながら高校時代のおれの部室にはタイムマシンは現れなかったし、未来に対してできるズルは思いつかない、というか土台無理なんだけど、でもまあ昔アメリカの黒人が地方で歌っていた音楽がなんの因果でか世界中で歌われるようになるみたいなスペクタクルは実際に起こるわけですよ。それって、結構すごくないですか。そしてそんなようなことでおれが、誰かが、世界が豊かになるなら、それを行う人間は誰であってもいい。おまえでもいいし、おれでもいい。そこには結局意志だけが残るのだから。

 

みたいな落としどころを見つけたところで、なんとなくブルーハーツのTRAIN-TRAINが聞きたくなったので、おしまいにします。

ばいばい。